
あるアンケート調査で、おもしろい結果が出ていた。
携帯電話が普及し、インターネットが発達したことによって、職場の同僚や知人、また家族同士でもコミュニケーションの機会は、平均して20パーセントから30パーセント増えた。
ところが人と「面と向かって話をする機会」は、3割強減ったというのである。
世の中が便利になることは、たいへんけっこうなことだが、その便利さに慣れきってしまうとこんなふうにマイナスに作用することもある。
最近の若い人たちは電車の中でも公園のベンチでも、お昼ごはんを食べながらも、歩きながらも、終始ケータイをにらんで、指を動かしている。
友人と連絡を取り合っているのだろうが、これほど頻繁にコミュニケーションをしているのだから、しっかりした人間関係が築けているのだろうと思いきや、「ほんとうの友だちがいない」と訴える人が少なくない。
コミュニケーションは密になったが、人間関係は希薄になったということだ。
考え方、感じ方が異なる人と顔を突き合わせて、意思の疎通をはかるには、ある程度の時間もかかる。
お互いに不愉快な思いもしなければならないときもある。
人間関係というのは、そもそもそんな「便利」なものではない。
いや、見方によっては、人間関係ほど「不便」で面倒くさいものはないと心得ておいたほうがいい。
「会って話をするのは面倒だからメールで済ませよう」というときでも、ときどきは、あえて「会って話す」という基本にもどってほしいものだ。
それは「ひとつ手前の駅で電車を降りる」のと似ている。
健康のために、最寄りの駅のひとつ手前の駅で電車を降りて、わざわざ時間をかけて家まで歩く。
そうやって日頃の運動不足を解消し、足腰を鍛えようというわけだ。
わざわざ「不便なこと」をすることによって「人と信頼関係を築いてゆく力」が鍛えられるのである。
もっと、不便であることを楽しみたいものだ。
不便は、人間関係の元。
「○○なしデー」が多くなるぶん、人と人とは「いい関係」が醸成されてくるように思うのだ。
『「捨てる」「思い切る」で人生がラクになる』
斎藤茂太 著
新講社ワイド新書
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