
SONYの創業者の一人、盛田昭夫氏のお話です。
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1955年、盛田たちは日本初のトランジスタ・ラジオを開発し、その2年後にはさらにコンパクトサイズにしたポケッタブル・ラジオを売り出す。
白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった家電の三種の神器が隆盛を極めている時期に、あえてトランジスタ・ラジオで切り込んでいったのである。
国内だけに留まらず、トランジスタ・ラジオはアメリカでも発売された。世界中のどの国でも発音しやすいようにと、SONYに社名を変更したのもこの時だ。
アメリカでは大手メーカーであるブローバ社から10万台の注文を受けるが、ブローバ社の商標で売るという条件がついた。
ソニーを世界に通用するブランドに成長させたい。
メイド・イン・ジャパンの底力を見せつけてやりたい。
そうした気持ちのほうが勝ったのだ。
盛田はよほど悔しかったのだろう。
「50年前は御社も無名だったはず。
われわれはその一歩を踏み出したところだ」
と、啖呵を切ったという。
その言葉ははったりで終わらなかった。
盛田はソニーをメイド・イン・ジャパンの品質を保証する世界的な企業へと発展させていったのである。
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奇跡をつかんだ失敗の?末
ライフ・リサーチ・プロジェクト 編
青春出版社より
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