
安土桃山時代から江戸時代の前期の臨済宗の僧、沢庵(たくあん)和尚は、宮本武蔵の心の師であった。
正保二(1645)年の十二月の上旬に、沢庵さんが病の床に臥(ふ)したと聞いて、たくさんの人が、品川の東海寺に集まってきた。
沢庵さんは、床の上から、集まった人たちに、こう話された。
「このたびは、わたしも、寿命だと思っている。
わたしは、この世に生まれたときも、一人でやってきた。
また、このたびも、一人で、この世を去る。
だから、どうか、悲しんでくれるな。
わたしがこの世を去ったら、どうか、みんなで、鐘や、たいこをたたいて踊ってくれ」
みんな、あぜんとして、声が出ない。
さすが、剣豪の柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)が、枕もとに、つと寄って、声をかけた。
「和尚に、おたずねします」
「なんじゃな」
「和尚が亡くなる日時が、わかりますか?」
「うん。昨夜、あみださまがわたしのところへ来てな。“今日、来るのか、明日、来るのか”と、聞くんだな」
「それで、なんとお答えになられましたか?」
「行きたくない、と答えてやったわ」
人気のある「たくあん漬け」を考案した沢庵さんには、心にしみる話が、たくさんある。
その沢庵さんが、一生、大事にした言葉は、「夢」と「無作(むさ)」であった。
「いい夢を見て、大喜びしたとて、朝、目が覚めてみると、そこには、なんにもない。
悪い夢を見たとて、朝には、消えてしまう。
人生というものも、カネを大儲けして豪華な生活をしても、貧しい生活をしても、死ねば、夢だ」
そして、こうつづける。
「だから、まわりに対して、あまり、ああしよう、こうしよう、ああしたらいい、こうしたらいいと、他人にべたべたしない。
世の中、ある程度は、運命にまかせよ」…と。
「無作」とは、ことさら、あれこれと、いじくりまわさないことだ。
できるだけ、自然の流れに乗る。
まわりに感謝だけして生きる。
過去の栄華は、ひとつも語らなくても、若い人を心で感化して、善導する。
老後は、家族や親せきについても、「無作」がいい。
むかし活躍したことを強調して、過去の自分をなつかしんで、いい気になって才知をひけらかしていると、あたりが、腐ったようになる。
いつのまにか、若い人の仲間に入れてもらえなくなってくる。
引用:禅的老い方
境野勝悟 著
三笠書房
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