
私は時々ジャズのライブをしているのだが、先日、会場にかわいい花束が届いた。
送り主は元ゼミ生だった。
電話をすると風邪声で、「行きたかったんだけど、風邪でダウンしました」と言う。
彼女は私のホームページを見ていてるそうで「先生は新しい本を書いたり研究したりすごいなあ」と続けた。
私は内心、それは違うよ、とつぶやいた。
彼女は子供が大学に入学したのに合わせて、自分も学生になった。
ゼミで女性学を学んだときは50歳過ぎで、卒論では、慣れないパソコンを使いつつ、何度か涙を流した。
学問に向いているとは言えないかもしれない。
しかし、彼女は家計簿をつける研究グループに参加しており、家計のきりもりはまさにプロだった。
ゼミのとき、彼女が千円の予算で家族全員分の夕食を作る話を聞き、その内容の充実ぶりと見事さは、彼女にしかできない仕事だと感心したのを覚えている。
人はあらゆる人生を生きることはできない。
ひとつの人生を選び、それ以外の人生を捨てて生きていく。
彼女は学問や研究をしている人がうらやましいかもしれない。
しかし、彼女も彼女にしかできない人生を歩んでいる。
今は両親の介護と家事に戻った彼女にとって、大学生活は捨ててしまった人生の一部を生かしたひとときだったのだろう。
それはすてきなことだ。
私は子育ても介護もしていない。
だから、他人の娘たちや母親たちの手助けをしている。
そしてものを書いたり歌ったりする。
どんなに、これでよし、と自分で選び進んできた道でも、年をとるとこれでよかったのかしら、という気持ちが浮かぶ人が多いのではないか、と思う。
そんなときは、自分が捨ててしまった人生の一部をちょっぴり今の自分の人生に加えてみよう。
彼女が勉強してみたように。
「時間を作ってゼミにいらっしゃい」。
そう彼女に言って、電話を切った。
『大人の生き方 大人の死に方』毎日新聞社
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