高倉健「お母さん、僕は、あなたに褒められたくて、ただ、それだけで・・・」

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高倉健 いいため話
画像:http://laughy.jp/

あれがいやだ、これが嫌いだと言っているうちにこういう年齢になってしまいました。

だから、やっぱり母親の教育ってのは、すごく影響ありますよね。

スパルタでね…。

魚が嫌いだっていうと、わざわざ頭のついている姿のままのやつ。

母は、

「乃木大将は食べるようになるまで、食べさせられたのよ」

「乃木大将になんかなりたくないよ」とか言ってね。

それで大人になっても、結局は食わないですものね。

ぼくの母は、本当に僕が残したものは、十日間くらい出しましたよ、続けて。

単なる依怙地ですよね。

それは…。

小学校へ上がってすぐ、肺湿潤に冒されて、安静にしたまま、治るのに一年かかったんです。

この病気は肺結核の初期とかで、そのころはまだ伝染病として恐れられていたんです。

コメカミに細い青い血管が浮いたような顔で一人、離れに寝かされていた。

学校も二年生の一年間、休学したんです。

この間、母は、毎日毎日ぼくに鰻を食べさせた。

まだ川に鰻がたくさんいたころで、近くの人が釣って魚屋に卸すものを、買ってくるらしかった。

肺病の息子に、鰻を食べさせてなんとか滋養をつけさせたい、という母の気持ちは、子ども心にもわかりましたが、毎日の鰻はつらかった。

それで、鰻は今でも一番苦手なんです。

明治の女だったですからね、母は。

歯ブラシなんか、勿体ないって、もうすり減っちゃって毛なんか曲がっちゃってんのに、ほとんど柄で磨いているような歯ブラシで…捨てんの勿体ないって言うんですよ。

それで磨くから歯茎がすり減っちゃって。

「母さんね、こんな機械があって、電気でこうやって」って。

「バカ」って言ってましたよ。

「そんな歯を磨くくらいで、そんな贅沢をして」って。

あの『八甲田山』やって、母が見に行った後、

「あんたも、もうこんだけ長い間やってるんだから、もうちょっといい役やらしてもらいなさいよ」って言う。

「もうその雪の中ね、なんか雪だるまみたいに貴方が這い回って、見ててお母さんは…切ない」って。

僕が荒れ性であかぎれが切れたり、いろいろするってのよく知ってるんですよ。

仁侠映画のポスターでね、入れ墨入れて、刀持って、後ろ向きで立っているやつでね。全身の。肉絆創膏を踵(かかと)に貼ったんですよ。それを、

「アッ、あの子、まだあかぎれ切らして、絆創膏貼っとるばい」って。

見つけたのは、おふくろだけでした。

全身のポスターで、誰も、気がつかない。

「あんたがね~可哀想」

僕の映画は、大体観てたみたいですね。

だけど妹たちがいやがってました。

やっぱり母親で見るから役で見ないんですよね。

独り言がだんだん多くなってきて、恥ずかしくて連れていくのがいやだって。

「後ろから斬るとね。そんな卑怯なことして」とか言うんですって。

「つかまえてみろ」とか「逃げなさい」とかね。

そういうことチョコチョコと言うんで、周りの人に恥ずかしくって、一緒に行くのがいやだって、だんだん言ってましたね。

毎年、写真送ってきてましたよ…離婚して…二、三年たってから、毎年お見合い写真みたいなのに履歴書入れてね。

母の家系って、教育者が多いんですね。

中学校の校長先生とか…母も先生でした。

『一人になって可哀想・・・』といつも書いてました。

『あなたが不憫だ』って、それはいつも書いてありましたね。

僕が何かのロケへ行ったりして、ワッと囲まれたとか、ファンレターがなんとかってそういうのいっさい見たことないですから。

想像できないんですね、ぼくの生活が。

『帰っても誰もあなたを迎える人がいない。それを思うと不憫だ』って、毎回書いてありましたよ。

「お母さん、あなたが思っているより、僕ずーっともててるんだよ。教えてやりたいよ本当に」

「バカ」って言ってました。

頑固で、優しくて、そして有難い母だったんです。

自分が頑張って駆け続けてこれたのは、あの母(ひと)に褒められたい一心だったと思います。

そして…。

この母が本当に逝ったとき、自分は告別式に行かなかった。

『あ・うん』の大事なシーンを撮影しているときでした…。

葬式に出られなかったことって、この悲しみは深いんです。

撮影の目処がついて、雨上がりの空港に降りると、いつものように電気屋の門田ちゃんが出迎えてくれた。

彼も自分の気持ちを察してくれて、長い無言の車内。

実家へ行く途中、菩提寺の前で、車を停めてもらって、母のお墓に対面しました。

母(おふくろ)の前で、じーっとうずくまっているとね、子ども(ガキ)の頃の事が、走馬灯のようにグルグル駆けめぐって…。

寒い風に吹かれて、遊んで帰ると膝や股が象の皮みたいになってて、それで、風呂に入れられて、たわしでゴシゴシ洗ってくれたのが痛かった。

そのときの母のオッパイがやわらかかったこととか、踵にあかぎれができると、温めた火箸の先に、なにか、黒い薬をジューッとつけて、割れ目に塗ってくれた。

トイレで抱えてもらって、シートートー、とオシッコをさせてくれたり、反抗して、シャーッと引っかけたり。

なにか、そんなことばかりが頭の中にうず巻いて。

はいていたチノパンツが、濡れて、それが冷たくて、ハッと気がついたんですね。

いつの間にか、周りが乳白色の靄(もや)で、墓石の文字がおぼろになって、供えた都忘れの花に、もう滴(しずく)がついていて。

濡れたズボンが、お寺さんを出て実家からホテルへ、それでもまだ乾かなくて、不思議ですね。

人の心は、肉体を規制するんですね。

肌色のバンドエイドで隠してる踵のあかぎれを見つけてくれる、たった一人の人はもういない。

お母さん、僕は、あなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青(ほりもの)を描(い)れて、返り血を浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸せの黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。

北極、南極、アラスカ、アフリカまで、三十年駆け続けてこれました。

別れって哀(かな)しいですね。

いつも…。

どんな別れでも…。

あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。

『あなたに褒められたくて』集英社文庫