
アメリカの神学者のラインホールド・二ーバーは、
「おお神よ、我らに与えたまえ。
変えるべきことを変える勇気を。
変えられぬことを受けい入れる冷静さを。
そして、その二つを見分ける英知を」
と、変えることの重大さ、変えることの難しさを表している。
カーター元大統領は、「われわれは変わりゆく時代に適応しなければならないが、さらに、また不変の原則を堅持しなければならない」と述べている。
逸外(いつがい)老師は、
「窮(きゅう)すれば即ち変じ
変ずれば即ち通ず
通ずれば久し」
と言っているが、「変ぜざれば窮す」を頭につけてみたい。
いつの時代も変化に取り残される人は多い。
それは、変化に対して無防備な人。
気づいても変えること、変わることを行わない人。
変えるのが遅い人。
変え方が小さい、あるいは、大きすぎるひとなどである。
世の中は一瞬も止まることなく動いている。
私たちの生きている大地のプレートも一年間に数センチ動いている。
ウエストミンスター寺院の地下室には、次のような碑文が刻まれた英国国教会主教の墓がある。
「何の束縛もない若かりし頃、想像は果てしなく広がり、私は世界を変えることを夢見ていた。
ところが、年を重ね賢くなり、世界は変わらないことに気づいた。
そこで、目指すモノを、もう少し近いモノにして、自分の国から始めることにした。
だが自分の国も変わらなかった。
老年期に入り、私の願いは悲痛な思いに変わった。
自分の国もダメなら、少なくとも最も近くにいる家族を変えることにした。
だが、悲しいことに、これすら、ままならなかった。
今、私は死の床についている。
なんと、今になって初めてわかったのだ。
変えなければいけないのは、自分自身だと。
自分が変われば、家族も変わっただろう。
そして家族に励まされ、支えられることで国をよくすることもできだだろうし、やがては世界を変えることすら、できたかもしれなかったのだ」
『眼からウロコを落とす本』PHP文庫
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