「よかった」という言葉を連発する意識の大切さ

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笑顔 いいため話
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内科医・杏林大学名誉教授、石川恭三氏の心に響く言葉より…

私たちは世界屈指の豊かで平和な国の国民として生活しているので、発展途上国の人たちからは想像もできないほどの恵まれた環境の中で生活している。

それなのに、その有難さに気づいていないことが多い。

いや、気づいていないどころか、日常的に些細なことで不平不満を漏らしている。

不平不満を口にする前に、「よかった」と思う感覚を取り戻してもらいたい。

「三度の食事が食べられてよかった」

「夜、安心して眠ることができてよかった」

「電気、水道、ガスが使えてよかった」

「電車やバスが利用できてよかった」

こんなの当たり前ではないかと思うかもしれないが、それは思い上がりである。

新聞やテレビで時折報道されているように、世界中には戦争や自然災害や貧困などの真っ只中で、今の日本のような平和な日々を夢見ている人たちがごまんといるのである。

「〜でよかった」と思えることがそこらじゅうに転がっているのに気にもとめない人が多すぎる。

そこで、そんなことではもったいないと、「〜でよかった」を意識して行動することを心がけている。

「会えてよかった」

「キャンセルしてよかった」

「かえって、雨でよかった」

「あれにしないで、これにしてよかった」

「間に合ってよかった」

「このくらいのことですんでよかった」

「怖い目にあわなくてよかった」

「気がついてよかった」

「転ばないですんでよかった」

一日の中で「〜でよかった」と思うことはいくらもあるが、その「よかったこと」をどの程度「よかった」と受け止めているかで生き方の艶に違いができてくる。

よほどのことでもないかぎり、「よかった」などと思わない人もいるだろう。

そのような人より些細なことでも「よかった」と微笑を浮かべている人のほうに幸せの気配を感じる。

それとは逆に、

「それはよかった」と相手の幸運を喜ぶ言葉にはごく身近な人でもない限り、程度の差はあるものの、多少は妬(ねた)みの感情が入り込んでしまうものである。

というのも、多くの場合こちら側にはそのような幸運に恵まれていない者が自分を含めて、誰かしらいるからである。

「お嬢さん、ご結婚なさるそうね。おめでとう、よかったわね」(我が家の娘は結婚する気持ちなどさらさらなくて…)

「部長に昇格したんだそうだね。よかったな」(俺はこのまま課長で終わりそうだ。それにしても、こいつがなあ…)

「賞をとったんだってね。よかったなあ」(あれで賞がとれるんだったら、どうしてこの俺が…)

でも、そんな妬みを乗り越えて、というよりそんな感情をおくびにも出さずに、相手の幸運を祝うのが成熟した大人のエチケットである。

だが、それはかなり辛いことではある。

私は数えきれないほど、羨(うらや)ましい、妬ましい、悔しいという気持ちを内に宿して人の幸運を祝福する場所に出席していたので、もし、それと同じような気持ちを周囲の人に抱かせるような幸運が訪れたときには、できるだけ祝福を受ける公の場所を作らないようにしたいと思っていた。

杏林大学医学部第二内科学教室の主任教授に選抜されたときには、教授就任記念祝賀パーティをやらないことにした。

当時も今も、教授就任パーティはホテルで盛大に行われるのが慣例なので、多くの方々から開催するように強く勧められたが固辞した。

でも、人から羨ましいと思われる立場についたのだから、そんなことをしてもしなくても、結局は同じではないかと言われればその通りなのだが、多くの人の前で、これ見よがしに幸運を誇示するのが嫌だったのである。

「おめでとう、よかったですね」

と言わなくてはならない人の気持ちを嫌というほど経験してきたからである。

現役を離れ、そんな気遣いを一切しないですむようになって久しい。

今は日々、「よかった」を連発している。

『一読、十笑、百吸、千字、万歩…医者の流儀』

石川恭三 著

河出書房新社