無意識にでる言葉や会話には落とし穴が存在?

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おしゃべり いいため話
画像:seo-nagoya.biz

《言葉が言葉を引き出す。前の言葉があとの言葉も引き出す。その自分の言葉でもっと亢奮(こうふん)したり、腹を立てたり、もっと情深くなったりする。言葉がさきに立って感情を支配する》

それにしても、現代人は何て確信することが下手なのだろう。

或いは疑うことが好きなのだろう。

朝から晩まで、自分の体のことを疑ってばかりいる。

疑って、びくびくしてばかりいる。

まア、見てごらんなさい。

年配になった男女が集まると、判コで押したように病気の話ばかりする。

自分の体の状況を、あれこれとそれは詳しく述べ立てる。

一体、自分の病気の話をしてどうなるのか。

人の病気の話を聞いてどうなるのか。

人の病気の話を聞いて、それで愉(たの)しいとしたら異常である。

私は出来るだけ自分の体の具合の悪いことは人には話さない。

これは自分の身の上話を人にしないのと同じ心理である。

自分の体の具合を人に話すことによって、可厭(いや)でももう一度、はっきりと、自分の体の具合の悪いことを、心に思い浮かべる。

これが可厭なのである。

もう一つ、自分の体の具合の悪いのは、自分で知ってるだけでたくさんである。

他人に聞かせて、他人にまで可厭な気持にさせるのは失礼ではないか。

悪い話は、それが自分の体のことでも、決して口には出さない。

「ああ、くたびれた」「頭が痛い」「何だか風邪をひいたようだ」「腹が痛い、胃潰瘍(いかいよう)じゃないか」などとは決して言わない。

これも私の積極的養生法の一つである。

その代わり、好い話は会う人ごとに自慢する。

「私は風邪もひかないし、便秘も下痢もしないし、つまり、いつでも健康体の平均状態なんです」とか、「私は今年の秋で満72歳になるんですけど、何て言うか、体中に若い頃と同じような活力があるみたい。だから、72歳が自慢なんです」などと平気で言う。

この自分の言葉は、もう一ぺん自分の中に戻って来て、そうだ、確かに若い頃と同じ気持ちだなア、と思うのである。

つまり、自分の言葉で、繰り返し自分に暗示を与えるのである。

この繰り返される暗示くらい、魔法のような力を持つものはない。

『幸福は幸福を呼ぶ』

宇野千代 著

集英社文庫