
すべての人間関係において、自分の思いどおりにしようと考えることは、やめたほうがいい。
その人がそのように生きたいというのであれば、それを丸ごと認めてあげる。
「ではその人が、どんな生き方をしてもいいのですか?」
と質問する人がいますが、答えは、
「どんな生き方をしてもいい」
要は、「私がどう生きるか」だけ。
人を責める必要はありません。
ブラブラと生活している人が許せないと思うなら、自分はブラブラ遊びながら生きないぞ、と自分に刃を向けていく。
たとえば仕事をさぼり、要領よく立ち回って給料をもらっている人がいるとしましょう。
それが羨(うらや)ましいと思うなら、自分もそうすればいい。
それが許せないと思えば、自分はそのようなことをしなければいいのです。
この人が許せないと糾弾する必要はありません。
仕事をさぼって要領よく生きる人は、そのような生き方に見合った結果が返ってきます。
ですから、その人をなんとかしなければとか、この人を糾弾しなくてはと思う必要はありません。
ただ、「私はしない」と自分の問題としてとらえる。
もし糾弾したとしたら、糾弾された友人や家族は、みんなあなたから去っていくでしょう。
神様は人を糾弾する人には味方をしません。
大切なことは、人を責めて糾弾することではなく、「私」がどう生きるかだけです。
『「今」という生きかた』
小林正観 著
廣済堂文庫
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