七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから

人生の最後

【横田】玄峰老師は九十六歳まで生きられたのですが、「七十より八十、八十より九十、九十より百、百より死んでから」と仰いました。

事実、玄峰老師はいまでは高い評価を受けていますが、私の田舎では生前は誰もそんな偉い人だとは思っていなかったというのです。

亡くなってから偉い人だとわかったというんですね。

これが私はいいなと思うのですがね。

【執行】それはもちろん最高です。その人生はうらやましいことは確かです。

しかし、それは玄峰老師の人生だと僕は思うのです。

三島由紀夫は四十五年の人生でまた最高だったのです。

僕はどうなるのかわかりません。

しかし、誰とも比較しません。

僕の運命を生きるだけです。

それが体当たりです。

体当たりを最後まで続けられれば、僕の人生も最高です。

そして、どちらにしても人間は死んでからが本体ですから、現世で偉くなるのは、基本的に危ない人生なのです。

現世で報いを受けたら元々ダメなんです。

僕も受けたくないけれども、受けてしまったものも少しあるので、悩んでいます(笑)。

現世で受けてしまうと、死んでからマイナス要因になると僕は思っています。

キリスト教では「現世で報いを受けた人間は天国には入れない」と聖書にはっきり書いてあります。

僕は別に強力なキリスト教徒ではありませんが、この言葉はその通りだと思っています。

それは極端な表現ですが、言わんとしていることの意味は理解できます。

やはり現世では報われないけれども、真実の人生を送った人が最も尊いのです。

もちろん、現世で怠けていて報われない人は、さらにダメです(笑)。

僕は六十歳を超えてから、自分の安定とか安全を考えたり、自分の安楽や保身を図ったり、偉くなりたいとか報いを受けたいとか思う人間はダメだということが、はっきりわかるようになりました。

二十代からそうでしたが、六十代になって確信になったということです。

これは僕が思っているだけではなくて、ある意味で科学的なのです。

報いは受けないほうがいい人生になるのは確かです。

僕も会社を経営していてうまくいってしまっているので、ある程度の地位やお金を得たのですが、自分自身の人生観からすれば受け取り過ぎです。

だから、これからどうやって捨てていこうかと考えています(笑)。

(「対談 風の彼方へ」執行草舟 著 / 横田南嶺 著 / PHP研究所より)