
「自分の子供が不登校になってしまった。どうしたらいいだろう」という相談を受けました。
結局、不登校になった子供を受け容れれば、受け容れた瞬間に、その問題は何も生じなくなってしまうのです。
問題が解決してしまうというよりは、問題そのものがなかったということに気がつきます。
「問題だ、問題だ」と言っていた自分の問題であって、もともと不登校そのものが問題なのではなくて、それを「問題だ、問題だ」と言っている自分の心の問題として、それが悩み・苦しみになってしまったということでした。
子供が不登校になった、学校に行かなくなった。
ただそれを淡々とした事実として受け容れた瞬間に、子供にとっても自分にとっても、何の悩みも苦しみもなくなってしまうのです。
思いどおりにしようとしないこと。
それはイコール、その目の前の現象を受け容れるということでもあります。
生老病死、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことも、そのまま受け容れる。
そうすると、悩み・苦しみから遠ざかることができます。
悩み・苦しみを持たなくて済むことができます。
《病気をしたら病気をしたでよし。
死ぬようになったら死ぬようになってそれでよし。
愛している人と別れなければいけない状況になたらそれもよし。
それについて評価・評論をしない。
感想をいちいち言わない。
「ああ、そういうふうになりましたか」というふうに受け容れることが、自分にとっていちばん楽なのです。》
『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎
![]() |