
「私は、以前は『努力』してきた人間だったのですが、正観さんのお話を聞いて、がんばらない、緩んだ系統の人間になってきました。こういうタイプの人間が大勢を占めるようになったら、どんな社会になると思いますか」
と言われたことがあります。
私の答えは、そのように社会全体を評価、評論する癖をやめること。
面白いことに、人に対して「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。
この質問をなさった方は、コンサルティングをしており、たくさんの企業とかかわるという立場からの質問ということでした。
「世の中のここが悪いじゃないかここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」と、言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。
「暗い社会じゃないか」と問題点を指摘している人ほど、暗くなっているように私には見えるのです。
…世の中を暗い暗いと嘆くより、自ら光ってその闇照らせ。…
というのが私自身に言い聞かせている言葉。
その人が光だったら、その人の周りには闇はないでしょう。
評論する暇があったら、自分が光になること。
自分がどう光るかを考えるといい。
世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。
早くそれに気づくこと。
「闇」と「光」は、多くの人は50対50の力関係だと思っているかもしれませんが、実はそうではなくて、0対100です。
「光」が「闇」の中に入っていったら、常に「光」です。
逆に、「光」が撤退したとき、初めて「闇」の世界になります。
50対50の力ではなくて、「光」のほうが常に100の力を持っているのです。
ですから、「暗い、暗い」と言っている暇があったら、自分自身が光を放ってその闇の中に入っていけばよい。
光が入っていった闇は、どんな闇でも、光るしかありません。
肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、いつも温かくなる、ということが体験的にわかっています。
「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、明るい方向性を持っている人は、物理的にも光っているということです。
「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向に光線が発しているという様子がもとになっている象形文字です。
「光」の文字のもとになっているものが「人」というのはすごいことです。
そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。
古代の人は、光を発している人と、光を吸収する暗い人とを、見分けることができたらしい。
「陰気な」という表現があるのにわざわざ「あの人は暗い」という表現があるのは、実際にその人が「光」を発していなかったということでしょう。
「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで光を発する。
そしてその光は、暗い人を照らす。
「私の人生はつらくて、悲しくて、嫌いなことばかりで…」ということばかり言っている人は、「暗い」。
この人は、周りの光をどんどん吸着してしまい、はたから見ていると黒いもやの塊が来たように見えるのです。
これが、人間が「光」という文字の語源となったいきさつです。
「光」とは、「人」が光ることによって周りの人を照らし、歩いている道を明るく照らしてあげること。
光を発していない人の周りには暗い人が集まり、闇に包まれる。
光を発している人の周りには明るい人が集まり、明るさを宇宙に投げかけるのです。
『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス
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