
かつては、「ありがたい、ありがたい」と言うのが口癖のおばあさんが、あちこちにいたものです。
最近では、ずいぶん減ったように思います。
代わりに喫茶店などで、おばあさんの集団の会話がぼやき、文句の会のようになっているのをよく見かけるようになりました。
それだけ、世の中が暮らしにくくなった?
そうだという論はいくらでも言い立てられるでしょう。
「世の中がこんなにひどくなったから」仕方なくぼやいているのだと。
百歩譲って、たとえそうであっても、本来さほどぼやく必要のないような子どもにまでそんな心証をもたせていいはずがありません。
それは一生の不幸を招くからです。
「有り難い」事態であるかどうかは、子どもにはわからないことが多いですね。
殺し合いや飢えへの恐怖が日常であった過去の歴史や、戦争や貧困の只中にある世界の国々と比較すると、
「今、ここ」を見る教養や実感が不足しているわけですから。
でも、大人にはその「有り難さ」がいくらでも見えるはずですよね。
その時、すかさず「有り難いね」と伝える。
そうして「有り難さ」を教えていくのです。
身のまわりに不満の種はあふれているかもしれませんが、「有り難い」の種もあふれているのです。
ものをできるだけ「感謝」の視点で見られるようにしたいものです。
引用:悩んでいた母親が一瞬で救われた 子育ての話
平 光雄 著
致知出版社
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