
いろいろなお坊さんとお会いするなかで、なにかひとつ突きぬけた世界観をおもちの一本芯のとおったお坊さんに対面する幸せにめぐまれて、
「これはすごい」と、こころのなかで叫びたくなったことが何度かありまけれども、興味深いことに、
そんなお坊さんたちに共通しているのは、あまりにもふつうの日常を送っていらっしゃるということです。
みなさん、口をそろえてこうおっしゃる。
「ひとと変わったことをしたらいかん。あたりまえのことをし、毎日を精いっぱい生きていくだけだ」
もちろんその心境に到達するまでには、さまざまな修行を積まれ、いろんな悩みや苦しみを突き抜けてこられたわけですが、
そのはてに、日常を大切にするということに到るのです。
そうでないひとといったら失礼ですが、そういうかたに限って、かたちにこだわったり、いばったり、
感情にまかせて怒ったりする傾向があるように思えてなりません。
ほんとうにすごいひとは、まわりのひとから見ても、実にふつうに見えるのです。
日常のことをきちんとしていると、人生がふしぎとよい方向に運ばれていくということが、
長いあいだお坊さんをやっていると、だんだんとわかってまいります。
逆にそこをおろそかにしていると、人生がとんでもない方向にそれてしまうことも、
じぶんじしんが痛い思いをたくさん経験しているので、よくわかっています。
おかげで下手なことは怖くてできなくなるものです。
だれしもこころのなかでは「幸せになりたい」と思っています。
「不幸になりたい」と思って生きているひとは、この世の中にはいません。
でも、三度三度のご飯が食べられて、健康で働くことができる、そんな小さな幸せにも感謝して、
「わたしは幸せだな」と思うことができるひともいれば、大きな幸せにつつまれていても感謝できず、
「わたしはなんでこんなに不幸なんだろう」と愚痴ばかりのひともいます。
はたから見れば、ほんとうに幸せいっぱいで、不自由ない生活ができてうらやましい、と思われているひとでも、
胸のうちは「もっともっと」というこころがあふれていて、どうしても満たされず、こころの安穏(あんのん)が得られなかったりする。
三度三度、ご飯と味噌汁とお漬物をいただいて、家には屋根があって、布団があって、お風呂がある。
それだけで感謝のきもちでいっぱいになりたいものです。
精いっぱい、そして素直に謙虚に生きていれば、たとえいまわからなくても、いつかわかるときがくるでしょう。
「ああ、こうだったんだ!」と、自然にうなずける日が来るのです。
オギャーと生まれて、あの世に行くまで、人生はことごとく行(ぎょう)なのです。
ならばこそ、きょう一日、いや、いまをすぎゆく一瞬一瞬でさえ、じぶんのきもちが悪い方向にとらわれないように、
こころの針が一ミリでもプラスのほうにむいているように、みずからを律しつづけなければなりません。
もしなにかにとらわれているじぶんを見つけたら、すぐに反省をし、しきりなおしをして、
「またやりなおしてみよう」といって新しいスタートを切りましょう。
じぶんがいま呼吸していること、いのちがあることにまず感謝し、みずからのいたらぬ点や、
胸のうちにくすぶる悪い感情を、日々反省しなければなりません。
「損か得か」で行動を決める世間の処世術は、けっして上手といえない生きかたです。
損得を考えず、どんなひとにでも敬意を払い、おたがいを尊重して生きていくことができれば、みんなとても心地よい世界になることでしょう。
みんなが胸のなかにお天道さまのようなこころをもって、明るく楽しく生活できる環境が理想的です。
それはけっして大げさなことではありません。
ただ、きょう一日を精いっぱい生きるということであり、みんながこころのなかにいつも
「お天道さまが見ているよ」という素朴な信仰心をもつことなのです。
引用:人生でいちばん大切な三つのことば
塩沼 亮潤 著
春秋社
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