
我々は陰徳を施すことに慣れていない。
むしろ、勘定した報酬に応じた善行だけをしようとする。
さらに、はじめの一歩を踏み出すことにも慣れていない。
まず、だれかが善行をなすのを見て、それに倣おうとする。
最高の善行も、行い方やアピールの仕方で失敗することもある。
その動機を疑われることもあるだろう。
美徳はただ美徳として実践されればよい。
なんの技巧もなく、見栄を張ることもなく、奇をてらうこともなく、敢行されればよいのだ。
それにしても、この者はたしかにその善行を行ったのだ。
そして良い手本を示したのだ。
それ以上に何を望むことがあろうか。
隠れた美しい行為には最高の価値がある。
それが知られてしまった?
どうってことない。
なぜならそこで最も美しいことは、敢えて見せなかったこと自体にあるのだから。
引用:賢者の智慧の書
大竹 稽 著
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