立川談慶「どうして私はモテないのでしょうか?」の回答が分かりやすい

立川談慶 いいため話
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先日、とある美女から「どうして私はモテないのでしょうか?」と真剣に打ち明けられました。

その悩み多き美女は「性格は申し分なく、料理も上手く、仕事もできて、車の運転も器用」という、まさにグランドスラム状態でした。

この逆のパターンを考えてみましょう。

彼女にこう言わせてみたらどうでしょうか?

「私、じつはスキだらけなんです。料理はそれほど上手くありません。仕事はドジの連発です。車の運転は下手です」

ほら、一気にスキだらけになります。

「スキのない女性」とは、言い換えれば「自己完結した女性」でもあります。

そんな人を前にすると萎(な)えてしまう、それが男なのです。

もしかしたら、スキというのは、「魅力を放出する通用口」なのかもしれません。

文明の進歩は、極力「スキをなくす」方向を希求し、スキがなくなることを成長と呼んできました。

江戸時代まではスキだらけだった日本。

衝立(ついたて)のほか、日本の家の屏風(びょうぶ)、襖(ふすま)、障子(しょうじ)などはスキだらけでした。

他人の話が丸聞こえするスキだらけで隙間風も吹く長屋で、肩を寄せ合って冬の寒さを堪え、覗こうと思えば覗けるような狭いところで暑い夏は行水で済ませてきました。

「見えぬふり、聞こえぬふり」(現代でいえば「華麗にスルー」ですな)は、スキだらけの日本人が、暗黙のうちに決め合ったさりげないルールでした。

一見、めんどくさいやり取りですが、このめんどくささ(というか手順)は、品格を招きます。

余談ですが、師匠談志は「欲望に対してスローモーな奴を上品と呼ぶ」と看破しました。

「スキは魅力を放出する通気口」と言いましたが、もっとわかりやすくいうと「取っ手」かもしれません。

相手にとって「扱いやすい」という印象を与える高度な作法と捉えてみてください。

天才としての存在を存分に発揮し、駆け抜けるようにしてこの世を去っていった師匠談志も、つねにスキを見せてくれた人でした。

試写会に行き、琴線に触れる名場面に接したときなどは、お供の前座の前でもはばからず号泣するようなスキを見せてくれました。

ほんと魅力的な人でした。

スキはしばしば「そそっかしさ」にも置き換えられます。

プロの落語家になるためには、前座修行という厳しい通過儀礼をクリアーしなければ認められません。

それすらも甘んじて受け入れて、食えるか・食えないかなども一切考えないで、勢いで惚れた師匠に入門してしまうなんて、落語家は誰しも「そそっかしさ」を根底に有する生き物です。

いってしまえば、そんな「そそっかしさ」があるからこそ、どの落語家も魅力的な部分を持ち合わせているものなのです。

魅力を醸(かも)し出す最後の砦(とりで)、それが「スキ」なのだといえます。

引用:立川談慶 著
『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』大和書房