小林正観「幸せか?不幸か?」

幸せ いいため話
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不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。

あるのは、目の前の現象を、幸せと思う心で見るか、不幸や悲劇と思う心で見るか、だけです。

心をこめて宿泊者に対応しているある宿の経営者が、私にこんな相談をしました。

「夕食を食堂で7時から食べてもらっているが、8時半になっても席を立たない人が多い。

談話室でコーヒーをどうぞと言って、それとなく片づけはじめてもいいでしょうか」

私は次のようのお答えしました。

「宿の都合で片づけたい時間があるでしょうが、そういう都合はちょっとおいておきましょう。

ただ、こういうことは知っておいてください。

もし夕食がまずかったり、対応が不愉快で居心地が悪かったりしたら、食べ終わった人はさっさと部屋に帰ります。

食べ終わってもお茶を飲みながら同席の人と話に花を咲かせているというのは、食事がおいしい、宿の雰囲気がいい、居心地がいい、楽しい、ということです。

早く終わってくれないかなとイライラしながら見るのではなく、そういう目で見てみませんか。

きっと幸せで幸せで仕方なくなるでしょう。

朝、出かけるとき、宿の前でいつまでも写真を撮り合ったりするのも、とてもいい宿だったという意志表示なんです」

2〜3日してその方から電話がありました。

「なかなか席を立たないお客さんを見て、今日もみなさんが気に入ってくれたんだと思えたら、どんどん楽しくなりました」、とおっしゃいました。

事実や現象は何も変わっていません。

ただ見方を変えるだけで、同じ現象が「いやなもの」から「嬉しく楽しいもの」に変わったのです。

五木寛之さんに『生きるヒント』という本があります。

その中に、こんな文章が出ています。

毎日がしんどく感じられたとき、1日に1回、何かに歓ぼうと考えて手帳を買い込み、歓びを書いていったそうです。

そしてそれを読み返すと、実に他愛ないものばかりであったことに驚く、というのです。

例えば、

「きょう新幹線で窓際の席に座ったので、富士山が真正面に良く見えた。うれしかった」

「デパートで買ったボールペンが、じつに書き心地がよい。とてもうれしい」

「いつになくネクタイが1回で形よく結べた。こんなにうまくいくなんてめったにないことだ」

などだそうです。さらにこう書いていました。

「こんなふうに、その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね」

見方が変われば自分が変わる。

自分が変われば世界が変わります。

出来事はすべて中立です。

ただそれを「幸せメガネ」で見るか、「不幸のメガネ」で見るか、だけなのです。

引用:小林正観 著
『22世紀への伝言』廣済堂出版