日野原重明「5000人の死を看取ってきた医師」

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いいため話 死
画像:http://free-photos.gatag.net/

「有限の命を生きる」

日野原重明(聖路加病院理事長・同名誉院長)

医師になって70年近い歳月が流れました。

93歳になるまで私はほぼ5000人の死を看取ってきました。

人間は百パーセント死にます。

別の言い方をすると、人間は「死の遺伝子」をもって生まれてきます。

皮膚が垢になってはがれ落ちるように、私を形作っている細胞一つ一つが有限の命であり、

今日、骨髄で生まれた白血球は、1ヵ月後には死んでしまいます。

昨日、今日、明日と、コンスタントに生まれてくる細胞があるから、

私はいま、生かされているわけです。

ですから私は、「死」を覚悟する前に、

「自分は死の遺伝子をもつ細胞からできている」という意識を持つべきだと思っています。

そう考えれば、人間の死は、生の延長線上にある、生の一部なのだということが、おわかりいただけるでしょう。

遺伝子というものは、自分で選ぶことのできない、与えられた「運命」です。

しかしその「運命」をどう受け止めるかは、自分で考えることができます。

その人らしく、命の限界を考えながらね。

臨終に際して、人はさまざまな言葉を残します。

「あれもやりたかった、これもやりたかった」

「今死ぬのは嫌だ」等、多くの人が生の執着をもちながら亡くなります。

しかし少数ですが、死の間際に

「ありがとう」

という言葉を残して、人生の幕を閉じる人もいます。

私は、死の床にある最後に、自分が受けたすべてのものに感謝して、

「ありがとう」

と言って死んでいける生き方、死に方がしたいですねえ。

どれだけの遺産を残したかではなく、「心の遺伝子」を残したい。

死にゆく人に「ありがとう」と言われた人の心には、

その水分と養分が滲みて、春になると若葉が出る。

朽ちた葉が、命を伝えるんです。

新米医師の頃、初めて患者の死の床に立ち会った私は、

「先生、母から受けた恩に、心から感謝しながら死んだと伝えてください」

と告げられ、

「しっかりしなさい、死ぬなんてことはない」

と叫ぶだけでした。

やがてその少女は亡くなりましたが、私は、なぜ彼女の手を握って

「安心して成仏しなさい」と言えなかったのか。

あのときの自分は死を否定した、悪い事をしたなあと、心から悔いています。

あの出来事が、私の原点だと思っています。

どう死ぬかということは、どう生きるかということでもあるのです。

引用:人生へんろ
講談社