孔子「人としてどうあるべきか」

人間 いいため話
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孔子はその訓えの中で、「人としてどうあるべきか」ということを語っています。

その中には「徳の心」「仁の心」というように、人として持つべき心を説いています。

そしてそこでは、「中庸の心」も訓えています。

「中庸(ちゅうよう)」とは、「偏ることなく、過ぎることなく、及ばぬこともなく、常に変わらないこと」を定義としています。

孔子は、「君子は中庸を体得しているが、その理由は、喜怒哀楽を出さず、独り静かに思索し、人との調和を考えるところにある。小人は中庸に反しているが、その理由は、欲をほしいままにして少しもそれを省みず、遠慮することがないから」としています。

ギリシャの哲学者アリストテレスも、その倫理学で、理性的に生きるためには「中庸」を守ることが重要であると説いています。

なにごとも極端を避け、理性的にバランスがとれた状態が「中庸」という生き方です。

『論語』で「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と言いますが、何事も度が過ぎると弊害を生みます。

たとえそれが良いことであっても、例外ではありません。

孔子の弟子の子貢は才能ある人物でしたが、人物評が好きで、孔子も少々あきれるほどでした。

ある時、子貢は後輩の子張と子夏を比較して、「どちらが賢明ですか」と尋ねました。

孔子が「子張はやり過ぎる傾向があるし、子夏は少し不足している」と答えると、子貢は「では、子張の方が優れているのですね」と重ねて聞きました。

これに対する孔子の答えが、「過ぎたるは、及ばざるが如し」だったのです。

子貢は、才気煥発な子張の方が子夏より優れている、という答えを期待していたのでしょう。

ところが孔子は「行き過ぎは足りないのと同じだよ」と答えたのです。

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東京書籍