
本屋に行くと、よく『楽しく、ワクワク…』とか、『プラス思考で…』などといった本が沢山ならんでいますね。
もちろん、けっこうなことで、それでいいのですが、何となく気になるのは、楽しさとか苦しさとかに対する理解が、とても浅いんではないかと思うんです。
お釈迦さまは、私たちの、今、住んでいる世界をシャバ世界とおっしゃいました。
このシャバという言葉は、『苦しみに耐える』という意味なのです。
ですから、この世で生きることは、基本的には苦しいことなんです。
ある本には、『人生の目標は、生きること、生き切ることだ』とありました。
とにかく、死ぬまで、どんな事があっても途中でリタイアしてしまわないで生き切った。
それだけで、その人の人生の意義があったんだというのです。
それは、その通りだと思いますね。
この世で生きてゆくということは、それほど大変なことなんだと思います。
この文章を読んでいらっしゃる皆さんも、どんな生き方を、これまでやってこられたとしても、とにかく、ここまでは生き切って来られたのですからね、人生の意味があったんです。
その事で、自分自身を『よくやったね』と、ほめてあげて下さい。
自分を認め、許し、ほめてあげられるようになって、はじめて人を認め、許し、ほめてあげられるようになります。
人生はお釈迦さまがおっしゃるように、基本的には苦しみなんだけれど、そうと知って、その苦しみの只中に、覚悟を決めて入ってゆきましたら、意外にも、その苦しみの固まりがほぐれてきて、その中から喜びの種が見い出されてくるのですね。
そして、その種をしっかり保護して、大きく成長させてゆくのです。
そこまでいってはじめて「楽しく、ワクワク…」と言えますね。
お釈迦さまも八十歳をこえても、インド中を放浪してまわり、教えを説かれていたのです。
お経にも、すっかり疲労して、ヨボヨボ歩いておられた様子が記録されています。
「アナンダよ、私はもう齢(よわい)八十をこえて、すっかり弱ってしまった。肉体はすり減って思うように働いてくれなくなった。何度も何度も休みを与えぬと、仲々思い通りに働いてくれない。アナンダよ、私は疲れた。少し休みたい。しばらく横になろう」
と、こうおっしゃって衣を道傍に広げさせて、その上で何度も何度もお休みになったのです。
おなくなりになったのも、道傍に敷かれた衣の上でだったのです。
お釈迦さまも、決して楽ではなかったのですね。
それでも、そんな苦労の中に喜びを見いだしつつ生きてゆかれたのです。
『ひとついのち《しあわせ通信》第三集』本心庵
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