
「あきらめる」は、「諦める」と書きます。
「諦」は、「悟る」ことと同じ意味です。
ふだん使う「断念する」意味ではなく、「つまびらかに見る」「明らかに見る」、仏の智慧を表します。
明らかに見るときに一番大事なのは、「苦しい」「つらい」という感情を抜きにして、事態を正確に判断できるか。
そして、問題は自分の中ではなく、人との「間」にあると気づけるかです。
人が直面する問題のほとんどが、人との「間」に存在します。
「私の問題」とは、他人と一緒に織った織物のようなものなのです。
その証拠に、この世に自分ひとりだったとしたら、悩むことはないでしょう。
他人がいて、自分がいる。
その間にはストーリーが生まれ、人は喜怒哀楽を感じます。
そしてそこに執着し、いつまでも反芻し続けます。
しかし、そのストーリーとは、自分自身の「記憶」にすぎません。
自分のつくった物語だけを見て、苦しい感情にどっぷりつかる前に、問題を解決するには、他人との関係を組み替えることだと見極める必要があります。
_______
禅僧が教える 心が楽になる生き方
南直哉 著
アスコム
![]() |