父へ母へ。100万回の「ありがとう」

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親子 いいため話
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私は父の晩年、56歳の時に生まれた子どもだった。

父の口癖は「残念ながら、僕はきみが20歳になるまで生きてへんと思うで」。

子供の頃はそれが悲しくてよく泣いたリもしたが、いつの間にか「ま、人間いつか死ぬんから、その時はその時やん」と言い返せるような強靭(きょうじん)な精神力を持つ中学生に育った。

ひょっとしたらあれも父の教育のひとつだったのかもしれない。

父とはよく映画の話をした。

だが普通の親のようにいい話、素敵な教育なんかしてくれたことはなかった。

「ふー子(私のことをそう呼んでいましたね)、あの女優見てみぃ、ソフィア・ローレンって言うんやで。ええ女やろ、あの口の大きいのが格好ええねん」なんて話がいつもメイン。

女が何を着たら綺麗か、どう振る舞ったらビビッとくるか、何を言ったら可愛いと思うかなんて、女の話ばっかりだ。

何を考えてたのか、考えてなかったのか知らないが、おおよそ中学の女の子に聞かせても、人生の役に立つ話はなかった。

が、恐ろしいことに私は30歳を超えてから、脚本家とよばれ、演出をするようになった。

とたんに父の言っていた格好いい女、可愛い女の仕草や表情の指導が役にたった。

不思議なものである。

それから彼は私によくレポートを書かせた。

見てきた映画の感想文を書けと言うのである。

父に提出すると「なかなか面白かった。また書いてください」などと採点する学校の先生のように赤字でメッセージの書かれたものが戻ってきて、千円札がクリップで挟んであった。

「これでまた別の映画を見て、聞かせてください」ということだった。

もちろん、面白くなかったらお金は付いてこなかった。

映画代を稼ぎたい私は一生懸命、父にレポートを提出したものである。

おかげで、まず友達に映画の話を聞かせるのが上手くなり、手紙の達人になり、そしてエッセイストにもなった。

なんだろう…

父は見抜いていたのだろうか?と思うことがある。

実際には私が高校生の時に(自分の予告どおり、私が20歳になる前でしたね)死んだので、彼はまったく自分の教育が浸透した娘の姿を見ることもなかったが。

面白くて、お茶目な父、素敵な男だった。

『父へ母へ。100万回の「ありがとう」』PHP研究所