
晴れてよし 曇りてもよし 不二の山
もとの姿は かわりざりけり
(晴れていても曇っていても、富士山は変わらぬ元の通りの姿のままそこにある)
これは誰が詠んだ歌か実は分かっていないのだが、鉄舟先生が三島の龍澤寺に参禅をしているときに、ふっと口から出た悟りの歌として知られている。
(中略)
歌にあるように、曇って見えなくてもそこに富士山はある。
見えないからといってなくなるわけじゃない。
いつもと変わらず、そこにある。
よく「自分探しの旅」とかいうけれど、どこかへ探しにいったって自分は見つからない。
あるいは「自分を見失う」ということを我々はよくいうし、そういう状態に陥るときも実際にあるけれど、朝から晩まですべてのことは自分自身がやっているのである。
「ふと我に返る」という言葉もある。
これは、ある瞬間に「なんでこんなことをしたんだろう」とか「なんでこんなことを言ったんだろう」と気づくことだ。
そういう「なんでこんなことを・・・」という状態を「自分を見失っている」というのだろうが、そういうときも常に自分は自分とともにあるのだ。
それをしっかりと体得する。
そして常に自分と一体となっていく。
もし自分自身を見失ったという状態になったとしても、そこで「自分というものは常に自分と共にある」とわかっているのといないのでは大きな違いがある。
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山岡鉄舟 修養訓
平井 正修 著
致知出版社
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