
むかし、孔子のお弟子に曹参(そうさん)という孝行者があった。
ある日のこと、母がはたを織っていると、使いのものがかけこんで、
「もしもし、大変です。曹参が人を殺しました」という。
母はふり向きもせず、「そんなことはありません。きっと人ちがいです」こういったまま はたを織っていた。
しばらくすると、二度目の使いが来た。
「もしもし、大変です。曹参が人を殺しました」
母は最初と同様、顔いろも変えず織りつづけた。
あれほどの孝行息子が、そんなことをするはずがないと信じきっていたのである。
それからまたしばらくして、三度目の使いが来た。
「大変、大変、大変でございます。曹参が人を殺しました。それで、たった今、役人につれてゆかれました」
曹参の母もこの急報にはおどろいた。
杼(ひ)を投げ、垣をこえて走っていった。(杼というのは、はたを織るとき、横糸を通す道具)
幸いなことには、同名異人の曹参であった。
しかし、母は泣いた。
あれほど信じていたわが子をさえ、三度の告げにあえば、杼を投じて走った心を恥じた。
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楽園
後藤 静香 著
善本社より
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