
議論好きには近づかない。人間関係の事故防止のための用心です。
議論好きといってもいろいろですが、私が避けるのは「正しいか正しくないか」「良いか悪いか」の議論をしたがる人です。
そういう議論からは何も生まれません。
場の雰囲気が悪くなるだけなので、さっさと退散するに限ります。
華僑が議論するときには必ず目的がハッキリしていて「正しいかどうか」の話にはなりません。
彼らにとって正しいかどうかなど、どうでもいいのです。
「こういう考えがある、ああいう考えもある。どっちが正しいかなんて誰にも分からないじゃないか?やってみてこっちがいいと分かった。じゃあもう、正しい正しくないなんて言う必要はないじゃないか?」
そもそもだね、と言ってある華僑が教えてくれたのが『荘子』の言葉です。
すべての物が彼(あれ)だとも言えるし是(これ)だとも言える。
「立場を変えると是は非、非は是になるってことだよ。
この百円玉だって表が裏にもなるし、裏が表にもなる。
自分が見ている方が表だと主張しても意味がない。
だから自他の区別とか対立を超えた境地にいてこそ何にでも対応できる、というようなことを荘子は言っているんだが、それを我々はグレーゾーンと言っているんだ」
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華僑の大富豪が教えてくれた「中国古典」勝者のずるい戦略
大城 太 著
三笠書房
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