孔子は、過ちを絶対悪とはしていません。

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本 いいため話
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どんなに正しいと思って実行しても、間違っていたと気づくことがしばしばあります。

孔子は、そうした過ちを絶対悪とはしていません。

気がついたら改めればよい。

むしろ、過ちと知りながらこれを改めないことを本当の過ちであると説いています。

『論語』に、

「曽子曰(そうしいわ)く、吾日(われひ)に吾が身を三省(さんせい)す」

とあります。

孔子の弟子であった曽子は、他の優秀な弟子たちの間ではあまり目立たない存在でしたが、絶えず自分を振り返り、反省をして誤りを改めたことによって、孔子の教えを最も忠実に受け継いだ人と賞賛されるまでになりました。

孔子自身も生涯を通じてこの三省を繰り返した人でした。

そして、いかにすれば過ちを少なくすることができるかと研鑽を重ね、五十にして天命を知りました。

それからは天と交流できるようになり、人に見えざるものが見え、聞こえざる声が聞こえてくるようになったといいます。

しかし孔子は、そこで思い上がることなく、ますます謙虚に学び続け、六十にして耳順(みみしたが)う境地に至りました。

人は年とともに体も心も硬くなり、頑固になっていくものですが、孔子は逆に誰の意見でも素直に聞けるようになったのです。

孔子といえば、後世の私たちからすれば完全な人という印象があります。

しかしその実像は、常に反省をし、足らざるを改める努力を生涯にわたって続けた人だと思います。

多くの弟子から尊敬を集めていましたが、自分は他人と少しも変わらない、いたらない人間なのだと学び続けた。

その結果、七十にして心の欲するところに従がえども矩(のり)を踰(こ)えず、すなわち、自分の思うままに振る舞っても過ちを犯すことの少ない人生に、ようやく到達することができたのです。

孔子は七十三歳で生涯を閉じました。

当時としては相当な長寿であり、まさに天寿を全うしたといえるでしょう。

東洋思想では、年を取るほど立派になっていくことが理想とされます。

老朽(ろうきゅう)、老醜(ろうしゅう)という言葉が示すように、老いというのは一般的に否定的に見られがちです。

しかし、こうした言葉とは反対に、老熟(ろうじゅく)、老練(ろうれん)といった非常に魅力的な言葉もあります。

年を重ねるたびに人間が成熟し、練(ね)れていく。

そういう生き方を目指していきたいと思うのです。

『人生を導く 先哲の言葉』致知出版社