
遊びについて語るとき、それを自慢話にしてしまうと、大抵の場合ウザがられる。
遊びに限ったことではなく、人に何かを語るときは、謙虚な姿勢で、相手が興味を持って聞いているか、飽きていないかなどと反応をうかがいながら、失敗談などを織り交ぜて、楽しく語りたいものだ。
自慢話と同じくらい嫌われる話がある。
それは昔話だ。
その現場を共有していた人と一緒に思い出話で盛り上がるのは別だが、その場にいる人が誰もわからないような、仕事における武勇伝などはかなり嫌われる。
なぜなら、まったく面白くないからだ。
特に年長者の武勇伝は時代遅れも甚(はなは)だしいことも多々あり、聞いているほうはつまらないどころか苦痛になることさえある。
なぜこんなことになってしまうのかというと、その人には新しく楽しい話ができるだけの最新のインプットがないからだ。
別の言い方をすれば、新しい遊びをしていないから。
それに尽きる。
考えてみれば、話が面白い人は次々に新しい話題を繰り出してくる。
その話の多くは巷(ちまた)でよく見られる雑談のためのネタ本から仕入れたものとも、SNSやまとめサイトで話題になっているものとも違う、その人からしか聞けないものだ。
もちろん、人に新しい話題を提供するために遊ぶというのは本末転倒だが、広く浅く遊んでいれば「いつも同じ話をする人」というレッテルを貼られることはなくなる。
『大人はもっと遊びなさい』PHPビジネス新書
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