
ある家庭での朝の出来事です。
学校に急いで出掛けようとしていた中学生の男の子が、
床の上に置いてあった灰皿を蹴飛ばしてしまいました。
吸いがらが散乱するな中で、男の子は怒鳴ります。
「こんなところに置いてあるから悪いんだ」
台所から母親が叫びます。
「お父さんが使った後、しまわないから悪いのよ」
父親は父親で、母親に向かって、
「お前が気を利かせて始末しておかないからだ」
と言い、息子に向かっては、
「もっと気をつけて歩け」と叱りつけ、
これまた不機嫌のまま出勤していきました。
かくて一家三人、それぞれに不愉快な思いを抱いて、
一日を始めることになったのです。
同じことが起きたとして、灰皿を蹴飛ばした息子が、
まず自分の不注意を詫びていたとしたら、母親も、
「私が片づけておいたらよかったのに、ごめんね」
と詫び、父親が、
「いや、僕が悪かった。昨夜使ったままにしておいてすまなかった」
と謝っていたとしたら、
この一家三人はお互いに詫び合い、許し合って、
気持ちのいい一日を始めたことでしょう。
許し合うためには、まず当事者同士が、自分もまた、許されなければならない、過ちの多い人間なのだ、
という自覚がないといけないのです。
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出典
[愛することは許されること]
渡辺和子 著
PHP研究所より
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