
サンスクリット語で「カルマン」、パーリ語だと「カンマ」ですね。
これの基本的な意味は「行為」もしくは「作用」です。
インド思想の文脈ですと、「行為(業)」というのは日本語で考えるようなものとはちょっと性質が違っていて、やり終えたらそれで完結する、というわけではないんです。
行為には基本的に、ある種の潜在的な余力、ポテンシャルとも言うべきものが伴っていて、それが後に必ず結果をもたらすことになる。
例えば、目の前に虫がいたとしますね。
それで、その虫を叩いて殺したとする。
私たちの普通の考え方であれば、そのように殺したら行為はそこで完結して、「はい終わり」という話なのですが、インド思想の文脈ではそうではなくて、虫を叩いて殺したら、その行為は殺したぶんの何かしらの潜在的な力(潜勢力)を後に残すことになり、それはどこかで必ず結果をもたらすことになる、というふうに考えられているわけです。
ですから、業というのは行為であると同時に作用でもあるのですが、それをまとめて、「後に結果をもたらすはたらき」というふうに捉えておいてもいいと思います。
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「だから仏教は面白い!」
魚川祐司 著
講談社+α文庫より
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