
釈尊を罵倒し続けていた男が、ある日、
「なぜ、お前はこうして連日罵倒されても言い返さないのか?」と訪ねたところ、釈尊は次のように答えました。
「お前が人に贈り物をして、相手がそれを受け取らなければ、その贈り物は誰のものか?」
これを聞いた相手は、自己の非を恥じたと言います。
つまり、贈り物(=罵倒の言葉)は、自分自身に返品されるということです。
釈尊の死後、後世に伝わる伝記には、とても真理を含んだものが、なかには確かに存在します。この寓話もそのうちの一つです。
他人からの罵倒の言葉には、罵倒する霊的磁気が含まれています。
その罵倒の磁気を他人から投げ掛けられても、自分の心に一点の曇りもなければ、「ああ、そうですか」と素通りします。
反論する気も起こりません。
「ただ、誤解されているだけだから、後で理解される」
「自分が本心から正しいと思えるから別に構わない」
などなど、その投げられた罵倒の言葉に自分からの執着が生じないのです。
自分に自信(自神)がある状態です。
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「与えれば、与えられる」
リーマンさん 著
経済界より
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