なぜ人が、感情に翻弄(ほんろう)されるか?

禅の教え 仏

人は、「他人の海」で生きなければならないのですから、ストレスや葛藤がないわけがありません。

感情に左右されないほうがいいと思っている人は多いかもしれませんが、感情が揺れたり乱れたりするのは当然です。

大事なのは、その波に巻き込まれたり、流されたりしないようにすることです。

つまり、感情が「心」という器からこぼれさえしなければいいのです。

「不動心」という言葉があります。

これは私に言わせれば、何があっても岩のように動かない心のことでも、まったく波立たない水面のように静かな心のことでもありません。

生きているうちは、そんな心を持つのは無理な話です。

喜怒哀楽がなければ、死んでいるのと同じですから。

私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。

ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。

ヤジロベエはどんなに大きく揺れても、決して台から落ちません。

見事なものです。

不測の事態に動揺したり、理不尽な目に遭って怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、またスッと元に戻る。

言い換えればそれは、平均台の上をバランスをとりながら歩くような感覚に近いかもしれません。

自分が決めた道から外れなければいいのですから、その間でなら、揺れてもまったくかまわないわけです。

なぜ人が、感情に翻弄(ほんろう)されるかといえば、根本的に認識を誤っているからです。

感情の問題の十中八九は、ものの考え方と見方の問題です。

事態を正しく認識していれば、いったん感情が乱れてもそれに翻弄されることはありません。

感情の波に飲み込まれているときは、自分の中の何かが判断を誤らせています。

認識を誤らせるのは、自分の立場やプライドを守りたいという気持ちかもしれません。

あるいは、ひとつの観念に執着しているからかもしれません。

それをあらわにするには、いったんテクニカルに感情を止めればいいのです。

感情の流れをいったん遮断(しゃだん)するテクニックを知っていれば、ヤジロベエのように揺れても戻る不動心を培うことが可能なのです。

『禅僧が教える 心がラクになる生き方』アスコム