「伝わる」には


受け手に思いを伝えるためには、受け手の言って欲しいことを言ってあげればよい。

つまり、送り手の言葉に、受け手がベネフィットを感じればいいのだ。

ところが、これですべてうまくいく、バンザーイ!というわけにはいかない。

このベネフィットってヤツは、実に一筋縄にはいかない。

「受け手がすべてを決める」以上、ベネフィットは「受け手の尺度で測った」ものでなければならないということになる。

その精度高い推定が伴って、初めてベネフィットとして機能するのだ。

小食の女性にとって「替え玉無料」はベネフィットにはならない。

ワークライフバランスを重んじる人にとって、「高収入」は必ずしもベネフィットにはならない。

体調の思わしくない時の「フルコースのディナー」は苦行でしかない。

ある人にとって「親切に世話を焼かれる」ことは、余計なおせっかいに過ぎないのかもしれない。

このようなベネフィットをめぐる齟齬は、「送り手の推定するベネフィットと、受け手が認めるベネフィットが違う」ということで生じる。

あえて分類してみると、次の2つのケースである。

1. 「受け手によってベネフィットと感じることが違う」ケース。

2. 「同じ受け手でも時と場でベネフィットと感じることが違う」ケース。

1.については…

「半額ではなく定価で買うことでプライドを満たされる喜びを感じる」という人がいる。

「できるだけ不便なところに住みたい。知っている人が来ないから」という人がいる。

「彼女に無理難題を言われるのが好きでたまらない」という人もいる。

「定価(安くない)」や「不便」や「無理難題」といった普通に考えるとベネフィットからほど遠い事実も、やはり受け手がそれをベネフィットだと認めればベネフィットなのである。

どうやら、受け手とベネフィットはセットで考えなければならいようだ。

受け手をより正確に認識・理解することで、「その人の尺度における」ベネフィットはより精度高く推定されることになる。

2.について…

受け手によって認めるベネフィットが異なるだけでなく、まったく同じ受け手でもベネフィットと感じることはいつも同じとは限らない。

例えば、オフィスで昼食をとり損ねている同僚は「柿の種」の小袋一つでも喜んでくれそうだが、昼食後の同一人物に同じものをあげても「腹一杯なんだよ」という顔をされる。

普段は強気で人を寄せ付けないような人も、何らかの事情で弱っている時に親身に話を聞いてあげるとやたらと感謝され、その後の付き合い方が変わるということもある。

同じことを伝えても、同じはずの受け手がベネフィットと感じたりそうじゃなかったりする。

受け手の、その場その時の状況によると考えるべきなのだ。

『伝わる』マガジンハウス