中田敦彦「僕たちはどう伝えるか」

オリラジあっちゃん
引用:https://renote.jp

人間は「何を伝えるか」に心を捕らわれやすい。

どんな言葉を使うか。

それに執着してしまう。

だが、真実は真逆である。

「なにを伝えるか」よりも、「どう伝えるか」のほうが圧倒的に大事なのだ。

たとえば「愛してるよ」という言葉を伝えるとする。

スマホをいじりながら、目線を落として、疲れた声で「愛しているよ」と言う。

どう伝わるだろうか。

きっと「愛していないのだな」と思うだろう。

逆に「大嫌い」という言葉がある。

顔を赤らめて、恥ずかしそうにしながら潤んだ目で「大っ嫌い…」と言う。

どう伝わるだろうか。

きっと「大好きなんだろうな」と思うだろう。

人は聞いているようで、聞いていない。

「言葉を言っている人を、見ている」のである。

テレビロケのジャンルとして、「食レポ」というものがある。

はやりのグルメをタレントやアナウンサーが食べて、視聴者に味を伝える。

食レポが上手だと言われる人と、下手な新人タレントではまったく違う。

今度テレビで見る機会があれば注目してほしい。

なにがまったく違うのか。

「話す前の顔」なのだ。

新人は食べたあと、なにを言おうか考えてしまう。

そして、考えていることが顔に出てしまう。

そのあとで、「美味しいですね…。 外がサクサクで中がフワフワで…」と話し出す。

視聴者は違和感を抱いてしまい、その言葉が入ってこないのだ。

伝わってくるのは「美味しさ」ではなく「予定調和」である。

それに比べると、食レポの達人は、言葉を発する前から美味しそうなのだ。

匂いを吸い込んで微笑み、待ちきれないという勢いで口に入れ、噛んでいる間に目を見開き、飲み込んだ瞬間に感動したような大声で「…美味しい…」と言う。

すでに、言葉を伝える前に、美味しさは伝わっている。

これは、プレゼンでもまったく同じことなのだ。

「私の話を聞いてもらえますか?」そう言って注意を引きつけたとき、

そのときの自信のある顔や落ち着いたたたずまい。

それこそがプレゼンなのだ。

言葉を発する前に、決着はつく。

「この人がこれからする話は、おもしろそうだな」

開始10秒で観客の心を「つかむ」。

それができなければ、そのあとは長く苦しい戦いを強いられる。

一度失った興味や関心を取り戻すことは、上り坂の途中で自転車を降りてからまた漕ぎ出すように、とてつもないエネルギーが要る。

お笑い芸人だからこそ、確信を持って言える。

最初が肝心なのだ。

お笑いはまさに、それを表す言葉がある。

「つかみ」。

最初に心をつかめるか。

それはまさに、ネタ全体がウケるかウケないかを左右する、最初の大勝負なのだ。

プレゼンとは戦いだ。

聞き手の心をつかむか、それともつかみ損ねるか。

話し終わったあとに、伝わったか、伝わらなかったか、それを痛烈に感じるだろう。

勝敗が不明瞭な「芸術」ではない。

勝敗が歴然とついてしまう「格闘技」なのだ。

しかし、「言葉の格闘技」ではない。

「表現の総合格闘技」である。

総合格闘技とは、パンチやキックといった打撃技だけでなく投げ技、関節技などのさまざまな攻撃法を駆使して勝敗を競う格闘技だ。

言葉は、あくまでもその中の打撃技のひとつにすぎない。

そこに捕らわれていたら、プレゼンでは敗北するだろう。

達人は、凡人がパンチを発するよりも前に、違う技を繰り出しているのだ。

『僕たちはどう伝えるか』宝島社