大前研一 「年寄の経験や知識が通用しない世界が到来した」

大前研一 いいため話
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いま世の中で何が起きているのか?

一言で言えば、従来の「秩序」や「経験」といったものがすべて否定され、破壊されつつあるということだ。

それを実現したのは、言うまでもなくICT(情報通信技術)革命だ。

いまや電話回線ではなく、ルーター経由のパケット通信網とスマートフォンによって「いつでも、どこでも、誰とでも」つながることができるユビキタス環境になった。

スマホ向け無料通話・メールアプリのLINEやチャットアプリのワッツアップなどの登場で、電話会社は通話料を取れなくなった。

ICT革命は、ルーターによるパケット通信網革命とも言える。

それは何を意味するのか?

誰もがネットを通じて膨大な知識や情報を瞬時に得られるようになった、ということだ。

子供がスマホを使って何でもできる時代、年寄の経験や知識が通用しない世界が到来したのである。

ネットで他人の経験を取り込める時代、と言ってもよい。

実は、こうした話を企業経営者や幹部社員相手に話しても、なかなかわかってもらえない。

歳をとればとるほど、自身の経験や蓄積を否定できなくなるからだ。

私自身それを痛感したのが、中学生の孫との会話だった。

たとえば過日、私の孫が学校の授業で、マルティン・ルターとジャン・カルヴァンによるキリスト教の宗教改革について学んでいた。

そこで、私が知っていることを教えようとしたのだが、すでに孫はルター派とカルヴァン派の違いをはじめ様々なことをネット上の専門サイトやウィキペディアなどで調べ、

ヨーロッパの生きた地図の中で自分の知識にしていたので、私の出る幕はなかった。

私と話している間にも、話題をネットで確認したり、違う情報を引っ張り出して“対抗”してくる。

実に手強いのである。

かつて、個人の人間力とも言うべきものを支えていた経験則や知識量はもはや頼りにならなくなってきている。

どれだけ知識を持っていても、膨大なネット情報には敵わない。

あるいは経験から語られる言葉も、さらに経験豊富な人の言葉をネットから見つけてくることができてしまうのだ。

また、孫は「高校からアメリカに留学したい」と言い出した。

日本の若者が海外に雄飛すること時代は大賛成だが、私は自身の経験や実際に現地で聞いたことのある情報を踏まえて、その留学に反対する意見を述べた。

ところが、それに対して孫はネットから引っ張ってきた現地の最新情報や在校生の生情報などを盾に、ことごとく切り返してきた。

ついに私は反対することを断念するしかなかった。

要するに今は、それらの知識がシーケンシャル(順を追って)ではなくなっているということだ。

たとえば、数学で対数と順列・組み合わせのどちらを先に教えるべきか、といったことは全く関係ない。

日本史の勉強も旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代…と順番に積み上げていく必要はないのだ。

これまで日本の学校教育がシーケンシャルだったのは、蓄積や経験を重視する発想によるもので、そういう順序で勉強したほうが理解しやすいと考えられていたからだ。

しかし、いまや文字が読めるレベルになったら、すべて並列に理解できるし、何かわからないことがあっても、すぐにネットで調べられる。

電話の向こうに「司馬遼太郎」がフルタイムで個人的な相談相手になってくれている、という状態だ。

今、我々の目の前で起きているのは、そういう不思議な現象なのだ。

中学生にテーマを与えて1週間たったら、大人と同じレベルで議論できる。

すなわち「年功」が通用しない時代になったのである。

引用:稼ぐ力
大前 研一 著
小学館文庫