
マハトマ・ガンディーの孫アルン・ガンディーが十代のころに、ここから程近い所で起きたある事件について語ってくれました。
アルンが運転免許を手にして間もないある日、所定の時刻に父親と待ち合わせて、ヨハネスブルグまで車で送って行くことになりました。
アルンは二本立ての映画を見に行ったこともあって、待ち合わせに遅れてしまいました。
そして、遅れた理由を言わないで、作り話をでっち上げたのですが、父親はすぐにそれが嘘であることを見抜きました。
町を出て田舎道を走っているとき、父親が車を止めさせました。
「本当に困った。」父親が言いました。
「息子はなぜ嘘をついたのだろうか。息子から信用されず、真実を語ってもらえないとは、私は父親として失格なのだ。よくよくこのことを考えなければいけない。」
そして父親は車を降り、アルンにはライトを照らして後から運転させ、家まで歩いて帰りました。
アルンは父親の後ろをずっと、時速六キロのスピードで、車を「六時間」も走らせたのです!
アルンからその話を聞いたとき、私は言いました。
「お父さんは、ものすごく大きな罪意識を君に与えたことだろうね。」
ところが、彼はきっぱりとこう言いました。
「いいえ、そうではありません!あなたは僕の父を知りません。
父は偉大な男です。僕はとにかく父を喜ばせたかったし、大きくなったら父のようになりたいと思っていました。
どうして息子のことで失敗したのだろうか、と考えていた父は真剣そのものでした。
そして僕も、とても大切なことを学びました。あの日以来、嘘をつかなくなりました。」
つまり、アルンはそれ以来、「立派な」息子として生きようとしたのです。
大人であるとは、無責任に生きることではありません。その反対です。
責任をもって生きることであり、自分の自由を十分に知ったうえで、自分のためだけに生きるのではないと気づいていることです。
引用:「神を信じて何になるのか」
フィリップ・ヤンシー 著
いのちのことば社
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