
敗戦後の日本に大きな勇気を与えてくれた水泳選手がいました。
彼の名は、古橋広之進。
敗戦直後で日本人の多くが苦しんでいる時期に、世界記録を連発する古橋は国民的ヒーローでした。
1948年、ロンドンでオリンピックが開催されましたが、敗戦国である日本は参加が認められませんでした。
日本水泳連盟は、敗戦で打ちひしがれる日本人に、
なんとか祖国再建のきっかけを与えたいと、
あえてオリンピックが開催される同じ日に「日本選手権大会」を開催しました。
このとき、オリンピックで優勝した水泳選手より、8秒近くも上回る世界記録を出したのが古橋です。
この快挙は日本中を沸かせますが、
古橋の記録は海外からはまったく評価されず、「日本のプールは短い」とまで言われる始末でした。
この悔しさを胸に、古橋が世界の舞台でその実力を発揮できたのは、
翌年のロサンゼルス全米選手権に招待されて参加し、
400m自由形4分33秒3、800m自由形9分33秒5、1500m自由形18分19秒0と次々と世界新記録を樹立し、
アメリカの新聞では「フジヤマのトビウオ」(The Flying Fish of Fujiyama)と呼ばれました。
しかし彼はオリンピックとは縁がなく、日本の参加が再び認められた1952年のヘルシンキ大会では結果は第8位でした。
すでに選手としてのピークを過ぎていたことと、前年の南米遠征中にアメーバ赤痢に罹患し発症していたことが響いたようです。
この時、実況を担当したNHKの飯田次男アナウンサーが
「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。
古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。
古橋にありがとうを言ってあげて下さい」
と涙ながらに叫びました。
引用:FM FUKUOKA「五輪無冠のトビウオ」
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