たかの友梨「エステ業界の女王 波乱万丈人生」

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いいため話 たかの友梨
画像:http://www.cellulite-slim.com/

たかの友梨(ゆり)さんの実母は、妻子ある男性と恋愛し、彼女を産んだ。

母親が別の男性に嫁ぐことになり、一度は父親の家に引き取られた友梨さんだが、義理の母からいじめられた。

ほどなく、養子に出された。

つらい旅のはじまりだ。

その養父母は、どうやら養育費目当てだった。

ろくにおしめも替えてもらえず、ほうっておかれた。

見るに見かねて、引き取ってくれた女性がいた。

お母さんになってくれたその人がすごかった。

新しい両親のもと、友梨さんは初めて、家庭のぬくもりを知る。

二人が実の親じゃないなんて、考えたこともなかった。

でも、幸せは束の間だった。

5歳のとき、養父がほかの女性との間に子供をつくってしまったのだ。

お母さんは自分から身を引き、友梨さんを連れて家を出た。

やがて再婚するが、その家庭もうまくいかなかった。

新しいお父さんは、友梨さんに体罰のある教育をした。

借金を重ね、あげくに蒸発。

お母さんと友梨さん、重い障害のある弟は、住む家さえ失ってしまう。

絶望し、電車に身を投げようとした母親の手を、友梨さんが懸命に引いて止めたこともあった。

死の誘惑に打ち勝つと、お母さんは懸命に働いた。

旅館で住み込みで仕事をしていたため、友梨さんは親戚の家を転々とする。

やっとまた一緒に暮らせるようになったのは、小学校5年生のときだった。

中学生になって、お母さんが生みの母ではないことを人から知らされた。

ショックだった。

でも同時に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

縁もゆかりもない自分を引き取って育ててくれた。

精神的にも経済的にも追いつめられていくなかで、自分の子ではないからと放り出すこともできたのに、そうしなかった。

友梨さんは、その恩を忘れない。

友梨さんは、高校進学も断念せざるを得なかった。

中学を卒業すると理容学校へ。

そして一年後、前橋市内の理容店に住み込み、見習い修行をはじめる。

といっても、勉強をあきらめたわけではなかった。

働きながら定時制高校に通い、4年かけて卒業するのである。

雇い主に頼み込んで、夕方に仕事を抜けさせてもらい、自転車で数キロ離れた高校に向かった。

夜遅く店に戻ると、タオルの洗濯や鏡磨きに汗を流した。

深夜からが、自分の時間。

近所の美容院からもらってきた髪の毛や、顔を描いた風船を使って、カットや顔そりの練習に励んだ。

ぶきっちょと言われて育ったから、人の二倍も三倍も努力しなければ、と思ったという。

当時のことを友梨さんは、

「つらいと思ったことは一度もありません。

努力すればしただけ、着実に技術が自分のものになっていく。

それがうれしくて、おもしろくて、夢中でしたから」

群馬県の理容コンクールで入賞。

もっと上を目指すため東京に行きたい、と考えはじめた。

上京したのは、20歳のとき。

夜の7時まで理容店で働き、8時から12時までは居酒屋で皿洗い。

そのかたわら、通信教育で美容師の資格もとった。

爪に火をともすような生活をしながら、100万円を貯めた。

そのお金を握りしめ、友梨さんはフランスへ渡る。

「パリでエステティックサロンが大流行」という新聞記事を目にし、これだと直感したという。

24歳だった。

引用:鎌田實 著
『人は一瞬で変われる』集英社